りんずラボ~発音指導と翻訳修行と~


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中国語講師も登場する犯罪小説『ラム&コーク』東山彰良著[本の紹介]

自由時間のない毎日ですが、また積ん読本が増えてしまいました。

『ラム&コーク』(東山彰良著、光文社文庫、2017年11月)

単行本が出たのは2004年だから、13年も経っていますね。
2007年にもいったん文庫になっていますが、先月また違う版元から文庫が出ました。 続きを読む


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読書メモ:中文和訳と翻訳の違い

翻訳と、語学の一環としての和訳とは、違う。
とは思っていますが、まだ自分の言葉で表現するにはいたっておりませんでした。
『翻訳通信』の今月号に、翻訳では「理解した結果を母語で書いていく。」とあったので納得しました。
翻訳することを、「訳す」というのをやめて「翻訳する」と言うことにしようかな。自分へのいさめとして。
翻訳の評価の仕方、「原文に忠実」の意味など、周辺の議論も広げてくださりそうなので楽しみです。


山岡洋一「英文和訳についての覚書」より
(『翻訳通信』2010年2月号「翻訳概論」)

http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/bn/201002.pdf

そこで、英文和訳と翻訳にどのような違いがあるかをみていこう。

第一に、目的が違う。英文和訳は英文の読解力を試験の採点者に示し、高い点数を獲得することが唯一の目的である。これに対して翻訳では、原文の内容を忠実に読者に伝えることが目的である。

第二に、過程が違う。英文和訳では、原文を読み、訳していく。その際に、語句や構文を決められた訳し方で訳していくことが大切である。翻訳では、原文を読み、調べ、理解し、理解した結果を母語で書いていく。英文和訳では訳し、翻訳では調べて書く。

第三に、フィードバックの仕組みが違う。英文和訳では点数と正解が示されるので、どこをどう間違えたのかを検討できる。翻訳では訳文を見なおす際に、意味が通じるかどうかを検討する。意味が分からない文章になっている場合には、原文の読解か内容の理解、母語の文章のいずれかが不適切である可能性が高い。そこで、どこがどのように不適切かを検討する。英文和訳では正解がカギになるのに対して、翻訳では意味が手掛かりになる。


2件のコメント

読書メモ:翻訳の社会性、社会的な現象としての翻訳

『翻訳通信』第63号(2007年8月号)
山岡洋一「翻訳の理論のために」より
「既存の翻訳論はたいてい、文学か言語という観点から書かれている。それはそれでいいのだが、社会、歴史という観点が抜け落ちていることが多い」
「翻訳というものの出発点は、2つの共同体、言語を共通項とする共同体の接触である。…(中略)…そのとき、2つの共同体がどのような関係を結ぶかによって、翻訳が発生する場合もあるし、発生しない場合もある」
「翻訳を行うのは、学んだ内容を同じ言語を使う共同体に伝えるときである。だから、翻訳はいつでもどこでも社会的な現象なのだ。何をどのように翻訳するのかは、2つの共同体の関係によって変わる。そして、翻訳は2つの共同体の関係に影響を与える」
「現実に翻訳されている量を考えれば、小説などのフィクションの分野はたぶん、10%にも満たない。はるかに重要なのが、論理を扱う分野だ。自然科学や技術、社会科学などの分野は翻訳量がはるかに多い」
「これらの分野の翻訳も視野に入れて翻訳論を組み立てていくのであれば、社会的な要因、歴史的な要因を考える機会も多くなるように思える。それに、言語を共通項とする共同体が他の共同体に出会い、学ぼうとするとき、主戦場になるのは、文学ではなく、論理の世界のはずである」

翻訳という行為が、何のために、いつ、行われているのか。
これまで以上に、気づかずにいた視点を考えさせられました


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読書メモ:「湧いてきた」訳文

「翻訳者というものはしばしば、原作者が日本語を知っていたらこう書くに違いない、という確信に襲われるものです。そういうときに出てくる訳文は、もちろん直訳ではないにせよ、いわゆる「意訳」という言葉が暗示するような、意図的操作の産物でもありません。そして、経験的にいうと、こういうふうに「湧いてきた」訳文が、少なくともその訳者の能力内では、最良のものなのです。」

――柴田元幸「翻訳――作品の声を聞く」(『知の技法』東京大学出版会、1994年4月)より。


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読書メモ:99パーセントの翻訳

「そもそも原文というものにしても、言語化される以前の「世界」なり「想い」なりを言語に「翻訳」したものにほかならないのであって、いかなる文章も完全な「原文」ではありえないのでないか、という、本格的な翻訳論ではかならずお目にかかる議論の方向に、話を持っていくことも可能でしょう。」

「翻訳の「現場」で作業をする者にとっては、翻訳で100パーセントを伝えるのが不可能であることよりも、ひょっとすると99パーセントなら可能かもしれないことのほうがはるかに大事であり、翻訳において原文の90パーセントなり80パーセントなりが伝わってしまう(……中略……)ことのほうがずっと大きな驚きなのです。」

「たとえば西洋史を見れば、80パーセントなり90パーセントなりのそこそこ(……中略……)の翻訳が文化を動かしてきたと言って過言ではありません。中世のヨーロッパは、ギリシャの数学や医学や天文学を、そのアラビア語訳のそのまたラテン語訳を通して学びました。ルネッサンスとは人間復興の時代だったと言われますが、それは要するに、一大翻訳ブームのことでもあったのです。」

――柴田元幸「翻訳――作品の声を聞く」(『知の技法』東京大学出版会、1994年4月)より。


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読書メモ:翻訳の訓練の心構え

2006年5月『翻訳通信』第48号 「『ミル自伝』を訳す」(山岡洋一)より

「翻訳の場合はそうはいきません。課題文を翻訳してもらってできた具体的な問題を指摘し、どこに問題があり、どうすればもっとうまくできるかを具体的に教えても、同じ原文を訳すことはなく、同じ表現を訳すこともまずありません。個別具体的にこの部分がうまく訳せるようになっても、じつはあまり意味がないのです。もっと一般的な技術を磨き、一般的な考え方を身につけなければ上達しないのです。」

「翻訳の基本について、3つの点を指摘します。第1に、翻訳とは意味を伝えるものだという点、第2に、翻訳にあたっては構文解析がきわめて重要だという点、第3に翻訳にあたって辞書や資料を最大限に活用すべきだという点です。」

「 翻訳者はたぶん、辞書の使い方が一般の人と違っています。いちばん違う点は、辞書を引く頻度でしょう。1日に何十回も何百回も辞書を引きます。知らない言葉がでてきたときだけではなく、知っている言葉でも、繰り返し辞書を引きます。確認のために引く場合もあるし、知っている言葉でも意味が知っているものとは微妙に違っていると感じたときにも辞書を引きます。」

「 また、翻訳者は容易なことでは辞書を信じません。とくに英和辞典は信じません。何故かというと、英和辞典には「訳語」が並んでいますが、語や連語の「意味」が書かれていないからです。翻訳にあたって必要なのは訳語ではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。翻訳にあたって必要なのは、意味の理解です。意味が理解できれば、それを日本語でうまく表現するのが翻訳です。「訳語」がいくら並んでいても、意味が分からなければ、訳文は書けないのです。」

「 翻訳に使うのは辞書だけではありません。それ以外に様々な資料や文献などを使います。手に入るもの時間の許す限り最大限に活用して、質の高い訳を読者に提供するのが翻訳です。活用すべき文献のひとつに既訳があります。(中略)ただし、既訳を真似るだけで終わらないように。既訳がある場合の翻訳とは、既訳を越えなければ意味がありません。既訳をよく検討し、既訳を超える訳をだすよう努力してください。」


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読書メモ:編集的観点と文体の使い分け

2006年4月『翻訳通信』第47号 【名訳】池央耿訳『小説作法』(須藤朱美)より

「 わたしは翻訳を純粋な創作活動ではないと考えています。それは翻訳者が文筆業のなかでもきわめて編集的観念でものを見ざるを得ない職業だと思っているからです。内容は既に目の前に用意されています。課された役割は内容を創造することではありません。原文で内容を理解し、誰に読んでもらうか、どう読んでもらうかを原著者の立場で考えつつ、日本人の視点で文章を組み立てる技が翻訳者に求められているからです。」

「 ひと通り見まわしてみたところ、優れた職業翻訳家は複数の文体を意図的に使い分けているように感じます。たとえば同じ原著者の同じテイストの作品だけを永遠に訳しつづけるのであれば、もしかしたら文体はひとつきりで困らないのかもしれませんが、翻訳を生業とするからには、そういった状況はあまりに非現実的です。たとえ作家や専門分野を狭め、作品を選んで仕事をする状況にあったとしても、日本での読者対象や内容の情報価値を考えた場合、翻訳はいつも同じ文体で訳してさえいればよいというものではない気がするのです。」


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読書メモ:翻訳家がなすべき仕事

『翻訳通信』第60号 2007年5月号
「翻訳についての断章 翻訳家の時代」(山岡洋一)より

「 翻訳が必要なのは、最先端の研究から一歩か二歩、距離をおいた著作だ。専門家が書いたとしても、他分野の専門家や一般読者を対象に書かれた著作が翻訳の対象になる。また、専門分野の知識を一般読者に紹介するために、ジャーナリストやライターが書いた著作が翻訳の対象になる。こうした著作を翻訳するにあたっては、(中略)外国語から母語への翻訳にくわえて、専門家の言葉から普通の言葉への翻訳が必要になる。そのためには、翻訳家は常識人でなければならない。」

「専門家にすりよるのではなく、一般の読者が(つまり自分が)理解できないことは理解できないと認める。そして、理解できない点を理解できるようになるまで調べ考え、その結果を読者に伝わる言葉で表現する。これが翻訳家の役割だ。」

「 翻訳家がいま取り組むべき仕事は、新しい著作の翻訳だけではない。過去に学者や研究者が翻訳したもののなかで、いまの時代に読む意味が十分にあるのに、翻訳のスタイルが古くなっているために事実上読めなくなっている名著はたくさんある。こうした名著の新訳も、翻訳家にとって重要な仕事である。研究者が翻訳を行わなくなったいま、この仕事を行えるのは翻訳家だけである。」