「財布はカバンに入れた。」
中国語で書くと、
“钱包 放在 提包里 了。”
これをまた日本語に訳しなおすと、
「財布はカバンの中に入れた。」
あら、もとの文より長くなっちゃった。
この場合、もとの日本語原文にある「カバン」は単なるモノではなくて、「財布をしまう場所」としての意味を持っているので、中国語では“提包” に “里”をつけて方位フレーズにし、場所であることが分かるようにしなければなりません。
問い:
では、この中国語文 “钱包 放在 提包里 了。” を日本語に訳す場合、
1)財布はカバンの中に入れた。
とするのと
2)財布はカバンに入れた。
とするのでは、どちらが適訳でしょうか。
答え:
文法の授業で中文和訳をしてる時は、1)、
小説やエッセイを人に読んでもらうために翻訳してる時は、2)、
となります。
なぜ翻訳では“里”を訳さなくていいのか?
日本語の「カバン」は、物を表す普通名詞です。
ですが、普通名詞でありながら、「その中に何かを入れることができるという機能」を常に想起させる言葉です。
つまり、他の成分の助けを借りなくても「財布のしまい場所」という意味を持つことができる単語なのです。
だからこそ、「財布はカバンに入れた。」は、充分に正確で簡潔な日本語文です。
そこにわざわざ「カバンの中に」と他の成分を加えると、
「カバンの外ポケットじゃなくて中に入れたのよ」
「放ったらかしになんかしないわよ、ちゃんと入れたわよ」
と、言外の意味を含んでいるだろうと思わされます。
もしも中国語の原文にこうした含意があるのなら、“钱包 放在 提包里 了。” ではなくてもっと違う表現になっているはず。
逆にいうと、この文に “里” がある理由は、文法ルールで必要だからということにすぎないのですね。
前後に特別な文脈がなければ、この文は単に「財布はカバンに入れた。」という意味を伝えているだけです。
なのにやみくもに一対一で単語ごとに対応させようとすると、カバンなんていう簡単な単語に足をすくわれ、余計な訳を生んでしまうんですよね。。。。
中文和訳は文法の理解度を確かめるための訳。
翻訳は原文が伝えようとしている意味を再現するための訳。
両者は行為の性質が違うし求められる注意力も違うんです。
そんなことを言いながら、わたしだって、原文の意味を把握しそこねたり、自分が書いた日本語文の意味に無頓着になったり……。
疲れてくると、翻訳をしていたつもりが中文和訳をしていた、ということも。
ああ私ったら、目を開けながら寝ていたに違いない!急がば回れ。
そんな時は、ひと休み。
お茶にしましょう。