「もはや戦後ではない」という言葉は、昭和31年度経済白書の序文に書かれた言葉です。
もう戦争から復興したよー、やったー! という意味ではないらしいですね。
戦後の復興需要による回復期の成長に落ち着きが見えて、今後の成長のためには復興ではなく近代化を見据えた施策が必要だ、という意味で書かれたんだそう。
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じつは私、さいきん50歳を迎えました。知命(ちめい)、「五十而知天命」ですよ。
これまでわたしは、「若輩者ですが、がんばりますのでどうぞよろしくおねがいしまーす」というスタンスで物事にあたることが多かったんです。
諸先輩方にくらべたら実際に歳が若いし、経験も少ないし、顔の見た目も貫禄がないし、じっさいに中身も薄っぺらいと自覚している。
だから「まだぺーぺーですががんばってます! いろいろ教えてください!」という立ち位置にいるのは、本当のことでもあったし、しかし一方、年齢をスケープゴートにして未熟さを許してもらおうというズルいスタンスでもありました。
でも、そろそろそんなことも言っていられなくなってきました。
たんに年齢がそれなりになったというだけでなく。
( あと顔の見た目もそれなりになったとかならないとか。だけでなく)
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2017年、発音矯正というサービスに需要があるかどうか分からないまま、ただ一人のモニターさんに受講していただいた草創期。そのときは「教材もまだありません。教えるのもはじめてです。それでもついてきてくださいますか?」というスタートでした。
それから5年。
発音レッスンを受講される方は、中国語を上達させることで「得たい未来」をお持ちです。
発音指導士養成講座を受講される方は、中国語講師として新たなステージに立つことで「得たい未来」をお持ちです。
そんなみなさんを確実に「その未来」に近づけるよう伴走する仕事をしています。
これまでの受講生さんからありがたいご感想をちょうだいし、そのお声を読んだ方がまた新たに受講してくださる。
もう、「駆け出しなのでー、大目に見てくださーい」とは言っていられません。
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きのう、発音指導士養成講座の修了要件のひとつである「井田式発音診断の発音スコア100」を達成された方がいます。
発音の知識に漏れがあったり、上達までにもいろいろな紆余曲折もあり、とちゅうでいくらか葛藤も抱えながら、それでも辛抱強く学習を続け、最後はとてもしっかりした発音を獲得し定着させてのスコア100でした。
ご本人も喜んでくださいましたが、講師のわたしも喜びひとしおです。
で、ついつい、学習のロードマップとは、講師としての心得とは、教える仕事をするビジネスの心がまえとは、なんて、マインドセットに関することも問わず語りに熱く語ってしまいました。
そして、一瞬「はっ!」として、わたしのような若輩ごときが、こんな偉そうなことを、しかも年上の受講生さんに向かって説くなんて! というブレーキがかかりました。
そして「こんな若輩者が申していますが」と茶化したくなったんですよね。
でも、思い直しました。
もはや若輩ではないのです、わたしは。
先輩に対する後輩であることは間違いありません。
ただ、目の前にいる受講生さんに対しては、わたしは全身全霊で貢献し、信頼に応える責務があり、もしお喜びいただけたならそれはわたしが曲がりなりにもその責務を果たせたということなのでしょう。
お喜びいただくためにした仕事なら、へんな謙遜は不要だし、満足いただけなかったとしたら満足いただけるまで工夫を重ねる。
知命の歳、これからはそういうつもりで歩んでいこうと思います。
もはや戦後ではない。近代化が必要なフェーズだ。
もはや若輩ではない。覚悟をもってブラッシュアップしていくフェーズだ。
そんな決意表明でした。