2006年5月『翻訳通信』第48号 「『ミル自伝』を訳す」(山岡洋一)より
「翻訳の場合はそうはいきません。課題文を翻訳してもらってできた具体的な問題を指摘し、どこに問題があり、どうすればもっとうまくできるかを具体的に教えても、同じ原文を訳すことはなく、同じ表現を訳すこともまずありません。個別具体的にこの部分がうまく訳せるようになっても、じつはあまり意味がないのです。もっと一般的な技術を磨き、一般的な考え方を身につけなければ上達しないのです。」
「翻訳の基本について、3つの点を指摘します。第1に、翻訳とは意味を伝えるものだという点、第2に、翻訳にあたっては構文解析がきわめて重要だという点、第3に翻訳にあたって辞書や資料を最大限に活用すべきだという点です。」
「 翻訳者はたぶん、辞書の使い方が一般の人と違っています。いちばん違う点は、辞書を引く頻度でしょう。1日に何十回も何百回も辞書を引きます。知らない言葉がでてきたときだけではなく、知っている言葉でも、繰り返し辞書を引きます。確認のために引く場合もあるし、知っている言葉でも意味が知っているものとは微妙に違っていると感じたときにも辞書を引きます。」
「 また、翻訳者は容易なことでは辞書を信じません。とくに英和辞典は信じません。何故かというと、英和辞典には「訳語」が並んでいますが、語や連語の「意味」が書かれていないからです。翻訳にあたって必要なのは訳語ではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。翻訳にあたって必要なのは、意味の理解です。意味が理解できれば、それを日本語でうまく表現するのが翻訳です。「訳語」がいくら並んでいても、意味が分からなければ、訳文は書けないのです。」
「 翻訳に使うのは辞書だけではありません。それ以外に様々な資料や文献などを使います。手に入るもの時間の許す限り最大限に活用して、質の高い訳を読者に提供するのが翻訳です。活用すべき文献のひとつに既訳があります。(中略)ただし、既訳を真似るだけで終わらないように。既訳がある場合の翻訳とは、既訳を越えなければ意味がありません。既訳をよく検討し、既訳を超える訳をだすよう努力してください。」