草花を「摘む」動作と、柿やミカンを「もぐ」動作、ちょっとちがいますよね。
ところが中国語ではどちらも “摘 zhāi ” なんです。
まったく違う動作のような気がしますが、『現代漢語詞典』の説明を読むと、
摘:
取(植物的花、果、叶或戴着、挂着的东西)
(植物の花・実・葉あるいは何かに乗っている物・掛かっている物を)取る
とのこと。
うーん、中国語では対象が植物ならこの一語で足りるんですね~。
もう一つ、似たような例に、「かゆい」と「くすぐったい」があります。
中国語ではどちらも “痒 yǎng ”。
『現代漢語詞典』では
痒:
皮肤或黏膜受到轻微刺激时引起的想挠的感觉
皮膚や粘膜が軽微な刺激を受けたときに起こる、ひっかきたくなる感覚
とのこと。
「ひっかきたくなる感覚」なら「かゆい」のじゃないかと思いきや、日中辞典では「くすぐる」は “搔痒” “使发痒” だし、「くすぐったい」は “痒痒” “发痒” 。
“发痒” は「かゆい」の訳語にもなっています。
いま手元にないのでうろ覚えですが、たしか『中国の子供はどう中国語を覚えるか』(わたしが読んだのは旧版。いまは新版あり)にもそんな話がありました。
日本の幼稚園に通って日本語も分かるようになってきた中国人の女の子が
“想挠的是「かゆい」,想笑的是「くすぐったい」”
とお母さんに教えてあげるシーンがありました。
上手な説明ですね。
どうも納得がいかないのですが、笑いたくなるのも、ひっかきたくなるのも、中国語では “痒” で間に合ってるようなんです。
納得がいかないけど…。
ある言語ではまったく違うものとして二つに分けてカテゴライズしていることを、別な言語では同一のカテゴリーでとらえている。
「摘む – もぐ」と「かゆい – くすぐったい」は日本語が二つ、中国語が一つの例ですが、逆に中国語が二つ、日本語が一つになっている言葉もあったはず。
言葉の持つ、文化と不可分のこうした性質が、とてもおもしろく感じられます。