素晴らしい中文エッセイを得て、素晴らしい翻訳を得た「りんず杯中日翻訳コンペ」。
このたび、エッセイ著者の伏さんをお招きし、コンペにエントリーされた皆さんをご招待し、オンライン講評会を開催しました。
講評会プログラム
りんず杯中日翻訳コンペ オンライン講評会
2022年3月19日(土)zoom開催
当日参加者14名、録画視聴の方多数
〈内容〉
・審査員あいさつ
・講評
・質疑応答
・伏さんからのメッセージ
・伏さんによるエッセイ朗読
〈審査員あいさつ〉
井田から:
この翻訳コンペの開催のきっかけとして、発音学習書籍の制作があったこと。翻訳コーディネーターの経験と翻訳者育成団体での翻訳力認定試験立ち上げの経験など、翻訳とどうか変わってきたかということ。かつての仕事の関係で伏さんとご縁があったこと、などをお話ししました。
伏さんから:
多数の翻訳経験のなかから、主だった作品を選んでご紹介くださいましたが、そうそうたるラインナップでした。文芸翻訳を始めるきっかけとなった、人のご縁のこともうかがいました。
〈受賞者あいさつ〉
当日ご参加の受賞者さんからはその場でごあいさついただいき、ご都合の合わなかった方からはお預かりしていたメッセージを代読しました。
ベテランの方、ブランクのあった方、学習歴の浅い方など、さまざまなバックグラウンドのなか、それぞれに翻訳を楽しんでくださったことが伝わってきました。
また、翻訳にあたっては何度も繰り返して音読して念入りに仕上げたエピソードや、もっとも難しく感じた作品で受賞することができたというエピソードなど、参考になるお話を聞くこともできました。
〈講評〉
・全体の傾向
受賞作は抜きん出て素晴らしいものでしたが、各部門ともたった二作品しか選出することができないので、入賞に至らなかったものの、非常に僅差で惜しかった作品もあります。
原文の読み取りが正確であるにもかかわらず、訳語の選択や日本語表現に残念な面がある作品がある一方、その逆で日本語表現が素晴らしいにもかかわらず、原文の読み取りや訳語選択にもう一歩の注意不足が惜しまれるという作品もありました。
・審査の方針
原文の読み取りの正確さ、日本語表現の適切さ、そして原文の雰囲気の再現性の順に評価をおこないました。
・日本語の表記について
一般的な表記のルールについて、知っておいた方がよい豆知識をお伝えしました。
ただし表記の仕上げは、訳文の用途に合わせて編集者やクライアントと相談して調整するような事項ですので今回の翻訳コンペの評定対象とはしていません。
・翻訳のスタンスについて
翻訳にあたって考えることとして、「訳文の用途」「文体」「訳語」などは意識的に考えたいということをお話ししました。
・原文解釈について
今回の3部門の翻訳で中国語原文の読解に誤りが散見されたポイント5点を取り上げ、解説しました。
・訳語について
一つの日本語の単語がどのような意味範囲を担っているか、その感覚には日本語ネイティブのあいだでも揺れがあるので、多くの人が同じイメージを想起できる訳語選択が望まれるということをお話ししました。
・訳出の工夫
ユーモラスな原文、美しい原文に出会った時、多くの翻訳者によって、多くの訳文が生み出されます。
今回のコンペで、一つの原文が多様に訳出された例を5つ取り上げ、発想の豊かさをたのしみました。
・タイトルについて
ここでも「文体」「原文理解」「作者の情報」「訳文の用途」などを考えたいということをお話ししました。
翻訳コンペではタイトルを翻訳するかどうかは指定していませんでしたが、やはり多様な訳が生まれました。他の参加者さんの翻訳を見ることで刺激を受けられたのではないかと思います。
〈質問回答〉
事前および当日にご質問を募りました。
【Q】中国語独特の誇張表現と、日本語の控えめ表現のバランスは?
原文をそのまま訳すと、いかにも美辞麗句になってしまうという難しさについてのご質問です。
【A】原文を原語で読んで得られるものを、翻訳で読んだ人も同じように得られるのが理想
伏さんが日本語から中国語に訳す場合、日本語が控えめにすぎ、中国語では淡々としてしまう場合があるそうです。
訳文の使い道によって訳し方は異なり、企業の文書やニュースなどは構文に沿って忠実に訳す、広告や観光などでは誇張表現をもちいて中国人にとって魅力的に感じられるようにする、などの工夫をされているとのこと。
「原文を原語で読んで得られるものを、翻訳で読んだ人も同じように得られるのが理想」と考えておられるのですが、ただし文芸翻訳では、どこまでやるかの匙加減がもっとも難しいそうです。
わたしからは、「足さない、ひかない、けれども意味がちゃんと引き写されている」という理想をお話ししました。重複をまとめることなどで字句の数が変わることはあり得ますが、やはり翻訳の用途、対象読者を意識するのが重要と考えています。
【Q】エッセイ「風」の創作背景を教えてください
【A】
伏さんのご自宅では広いベランダでご夫君がガーデニングを楽しんでいらっしゃるそうです。そこに一人用の丸いブランコを置き、緑の中でブランコにゆられて本を読むという時間をよく楽しんでいらっしゃるとのこと。
そのブランコで風を感じ、木の葉ずれの音を聞いた時に「風が歌っている」と感じた、それが「風」の作品につながった、とお話しくださいました。
【Q】林少華氏による村上春樹作品の翻訳について、伏さんの好みを教えてください
【A】
初期の村上春樹作品を大陸に紹介したのは林少華氏の仕事で、80年代の翻訳は華麗な文体で大伯ファンを獲得しました。ただ、その翻訳は原作の雰囲気をやや逸脱し、「林式村上」と呼ばれるほど訳者の個性が前面に出ていたことも否めません。後に他の翻訳者による翻訳が出たり、また、日本語原文を読める読者が増加したりしたことで批判の声が聴かれるようになり、林氏の訳風も変化したそうです。
伏さんご自身もはじめは「林式村上」を読み、後に原文を読み、その落差にショックを受けたとのこと。伏さんの考えとしては、翻訳者は作者になってはならず、謙虚な姿勢でいなければならない。自分の創作した表現を使いたいならばそれは作家の仕事だ、というお話をきかせてくださいました。
【Q】中国語に四字成語が多用されるのはなぜなのでしょうか?
【A】
(伏さんのお答え)古典や四字成語は教養としてとらえられ重要視されています。
書き言葉は古文の流れを汲んでおり、四字成語が馴染みやすいこともありますし、中国語では話し言葉と書き言葉の差が大きく、別な言語を扱っているような感覚があります。
中国の小学校教育では3年生から四字成語を学習し、作文の成績の評価基準となっているなど、そうした教育的成果もあって、きちんとした内容を表現しようとするときには習慣的に四字成語が使われやすいのだと思います。
【Q】受賞作が掲載される本はいつ発売されますか?
【A】
ただいま井田が鋭意執筆中です。この書籍は出版社から刊行するのではなく、私家版ですが、Amazonで購入できる予定です。4月いっぱい、GW前の刊行を目指しています。
〈伏さんからのメッセージ〉
【翻訳に興味をもつみなさんへ】
翻訳の初心者によく見られる課題についてアドバイスを申し上げます。
原文に沿って忠実に伝えることは大切です。
ただし、原文の一語一語を訳語に置き換えた翻訳が必ずしも正しいとは限りません。
原文が表している意味内容を訳文でも同じように表すこと、それが翻訳の目的です。
日本語と中国語の場合は特に、各言語の漢字につられてしまうということが起こりやすいものです。漢字に引きずられることなく、意味がぴったりな訳語を探し出して使うことをお勧めします。
もし辞書を使うのなら、中日辞書だけではなく、中中辞書やネット検索で意味を把握することに挑戦してみてください。
〈伏さんによるエッセイ朗読〉
NHKでニュース音声やトーク番組を担当されている伏さんご自身により、ご自身のエッセイの朗読をお願いしました。
聞き手の顔が見える生イベントでは、放送よりも緊張するとおっしゃりながら、作品にこめた気持ちが伝わる朗読をしてくださいました。
参加者からは、拍手やハート、感涙など、心からのリアクションがありました。
それぞれに今後の目標を定め、再会を期しての散会となったことと思います。
エントリーしてくださった皆様、応募してくださった皆様、すべてのかたのお力添えによって、充実のイベントとすることができました。
のこすは、このエッセイ作品を掲載する書籍の制作。4月はこれに打ち込みます。