たまに思い出して心がちくりと痛む。
そんな話は書いてしまってみんなに告白するに限る。
留学して1年が過ぎたころ。
研究のための留学とはいえ中国語力がそんなに高いわけでもなかったので、1年間は大学の先生に家庭教師をしていただき、かなりがんばりました。
それでまあまあ不自由なく中国語を使えるようになったころ、仲良し三人組で西部に旅行に行きました。
ブドウ棚の下で民族舞踊と民族音楽を堪能したり、教科書に出てくるような遺跡を砂漠の中に見に行ったり、その砂漠でずいぶんハエが多いなと思ったらそのハエに触られたところがかゆくなってきて「これ、蚊だった!」と驚いたり。
まあいろんなサバイバルをしながら楽しく過ごしていたのです。
で、後悔というのはその旅の中で中国語を話せないご老人と出会った時のこと。
ウルムチの街なかで敷物を広げて雑貨の露店を開いているご老人がいました。
見るからにウイグル族の衣装でウイグル族の風貌で、売っているものも民族色豊かなものでした。
売られているものが物珍しく、ためつすがめつしていると、見たこともない用途もわからない棒があったので、これは何に使うものですか、と尋ねました。中国語で。
するとご老人は地元の言葉で何かいいながら、その棒をかみちぎって柔らかくして、歯磨きの身振りをしてくれました。それは天然の木の枝を使った歯ブラシだったんです。
わたしたちに実演するために売り物をダメにしてくれたことが申し訳なくて、謝ろうとしてハッと気づきました。
わたしはこのご老人のことばで「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えない、と。
旅の中ではだいたいいつも中国語で話が通じました。
しかし思えばここは新疆ウイグル自治区。話が通じていたとはいっても、
漢族の人だったか、中国語を習得した少数民族の人だったわけです。
わたしはわたしにとっての外国語である中国語をいっしょうけんめい習得したものの、同じ中国国内には中国語を話せない人もいることに無頓着なまま遊びに来ていました。
「ありがとう」も「ごめんなさい」も「こんにちは」も「さようなら」も言えない。
その地域の歴史的な背景をしっていたくせに、心の準備もなく、物見遊山で遊びに来たのがほかならぬこの自分だということに気付いて、あー、しまった。と思ったんです。
しかも自分が話しているのは日本語でもなく英語でもなく漢民族の中国語。
無意識のうちに自分が横暴を押し付ける支配者側に立っていたこと、今でも思い出すと居心地の悪い思いをします。
できればその土地の言葉であいさつをしたい。
そう思っていますが、あれから20年。新疆では様々な締め付けが厳しく、中国語を使うようにとの圧も増していると聞きます。さてどう振る舞ったら自分も相手も政治的に安全でいられるのか。