「翻訳者というものはしばしば、原作者が日本語を知っていたらこう書くに違いない、という確信に襲われるものです。そういうときに出てくる訳文は、もちろん直訳ではないにせよ、いわゆる「意訳」という言葉が暗示するような、意図的操作の産物でもありません。そして、経験的にいうと、こういうふうに「湧いてきた」訳文が、少なくともその訳者の能力内では、最良のものなのです。」
――柴田元幸「翻訳――作品の声を聞く」(『知の技法』東京大学出版会、1994年4月)より。
 
「翻訳者というものはしばしば、原作者が日本語を知っていたらこう書くに違いない、という確信に襲われるものです。そういうときに出てくる訳文は、もちろん直訳ではないにせよ、いわゆる「意訳」という言葉が暗示するような、意図的操作の産物でもありません。そして、経験的にいうと、こういうふうに「湧いてきた」訳文が、少なくともその訳者の能力内では、最良のものなのです。」
――柴田元幸「翻訳――作品の声を聞く」(『知の技法』東京大学出版会、1994年4月)より。