娘が小学2年生のとき、かぎ針編みに挑戦すると言い出しました。
小学生向けの手引き書が出版されていて、それを図書館から借りてきたんです。
えーっ、まだ難しいんじゃないの、と不安も抱きつつ付き合うことにします。
手引書は写真がいっぱいでとてもわかりやすそうです。
なのですが、娘がそれを見て編んでいってもなかなか上手くできない。
あら、どうしてかしらねえ、と、わたしも同じものを編んでみます。
すると、わたしは昔とった杵柄で、手引き書では言語化されていないコツをいろいろ駆使して編んでいるということに気づいたんですよね。
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- 糸をひっぱる強さ。
- 余計な糸を引っかけない予防的動作。
- 針の動線をサポートする手の補助動作。
などなど。習ったわけではないけれども、経験を積む中で習慣となってきた動作でした。
いわば、手順として手引書に書かれることはないけれど、やっていれば編み方がスムーズになるという非言語情報。
職人さんがカンとして持っている経験知、暗黙知みたいなものを使っていたんです。
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ああ、これって発音学習にもあることだなあ、と思いました。
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- 舌を押し付ける強さ。
- 子音から母音に移行するときの舌の動線。
- 母音の響きが変わるときの動作のタイミング。
そういった数値化しにくいコツは、ゼロから学習を始める初学者さんのための学習書には書かれていません。
つまり言葉で教えることが可能な形式知として伝承されにくいんです。
むしろ、中級者上級者で発音にクセがついている人が発音矯正のレッスンを受ける、そんな時でもないと耳にすることのないようなコツ。
そう、発音の動作にも非言語情報や暗黙知があるんです。
かぎ針編みを編んでみたらなんかうまくいかない。
そういう時はできる人のやり方を観察してみる。
すると、いろんなコツがあった。
中国語の発音もそれと同じで、うまくいかないときにはなにか原因がある。
うまく発音できないと思ったら、できる人のやり方を観察してみる。
それで、どこが違うのかを見つけられ……いえいえ、それができたら苦労はありません。
少数のいわゆる「耳のいい」人ならそれができて、自分の発音にも応用できるのかもしれません。
でも多くの人はどこが違うのかがわからないから苦労してるんですよね。
「規範的ではない」と「規範的である」との間にあるハードル。
そのハードルの越え方にコツがあるのなら、その暗黙知みたいなものをどうにかしてつかまなくてはならない。
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- どこが違うのかを指摘する
- どう違うのかを分析する
- どうすれば規範的な発音になるか伝える
そういうプロ講師の存在が必要です。
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となると、講師の役割というのは、発音の手引き書に書かれていない暗黙知の習得をサポートすることなのだろうと思います。
発音のレッスンを受けても「違います」と指摘されて終わり、では学習者側は困ってしまいますよね。
長嶋茂雄さんが「スーッと来た球をガーンと打つ」みたいなオノマトペで指導したと言われていますが、それは経験を積んだ人ならではの暗黙知の言語化だったんではないでしょうか。
「だめ」「違う」だけよりよっぽど役に立ちます。
ある程度中国語のレベルが上がったら、そしてなんだか発音が通じないことがあるなあと思ったら。
そんな時はプロ講師の指導を受け、中国語発音の暗黙知を自分のものにしてみませんか?
おまけ
中国語圏の大学には、対外漢語教育、対外華語教学といった専門課程を設けている学科があります。
そうしたところで専門教育を受けた講師に習うことができたらラッキーです。
諸外国の学生にありがちなクセなども学んでこられているからです。
ただ、必ずしも日本語で教えてもらえるとは限りません。
現地では、すべての学生に対応するために、「直接法」つまり中国語で中国語を教える方法が取られているからです。
講師がネイティブ話者であるか非ネイティブ話者であるかは、本来的には発音指導には関係ありません。
ですが、いま目の前で困っている非ネイティブ学習者の発音を再現できる人のほうが、講師には向いていると思われます。
学習者の発音が「どう違うのか」を分析しやすいからです。
その意味では、日本で発音矯正講師の職を担うのは日本語ネイティブ講師のほうが有利な気がしますね。