質問をいただきました。
お祝いのお言葉ありがとうございます!
わたしの本は、もうせっかくなので迷わず買っていただけたら、たいへん嬉しゅうございます。
「あってよかった」と言われるような本を目指して書きました。
それはさておき、発音や声調の本が4冊、その他ひっくるめて中国語学習書が20冊となると、壮観ですね。
背表紙を眺めているだけで、楽しくなってきますよね。
楽しかったらそれでいいんじゃないかとも思いますが、ご質問からはいろんな葛藤も伝わってくるので、一つ一つ解きほぐしてみたいと思います。
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わたしが少ない参考書を使い倒す派か、幅広い本から学ぶ派か、ということについては、、、と自分の学習歴を振り返ってみて、ちょっとびっくりしました。
1冊まるごとやり遂げた本、というのは、意外と少なかったんですよ。
大学のテキストとして授業で学んだ『新中国語』(新華書局)。
これはまあ、授業のテキストですから目を通してなんとか及第点を取って進級しました。
基礎は学びましたが、必死に学んだという訳ではなかったので、抜けや漏れはたくさんあったと思います。
大学院進学の試験に落ちて、慌てて始めた『トレーニングペーパー中国語/単語』(ニュートンプレス)。
語彙力が底上げされました。
ネイティブの先生に週2回×数ヶ月集中して教えていただいた《高级汉语》(北京大学出版社)。
泣きそうになりながら準備して、文法や決まり文句のストックが底上げされました。
この3つはしっかりやった方で、最後まで通したはずです。
そのほかには、やりかけてそのままのテキストがいっぱいありますね。
放棄したつもりではなく、「いつかやるんだ」という気持ちで先送りになっています。
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そんなわたしですが、受講生さんには「その目的なら、1ヶ月でこのテキストを2周しましょう」なんて提案し、びしばしお尻を叩いているのだから勝手なものですね。
もちろん、目的に応じた効果的なスパートのかけ方というのがあって、有効な時はどんどん一冊をやり込むといいのです。
ただ、もう一つ、拾い読みの効果というのもあるんですよね。
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中国語講師を始めるときには、説明の参考にしようと有名どころの文法書を軒並み買いましたが、辞書のように拾い読みをしていました。
その後、東方書店に就職すると、毎日毎日、中国関連の新刊書籍が目の前に流れてくるんです。
天国のようでした。
中国語講師をしていた習い性で、「このテキストはおすすめできる」と思うと躊躇なく買い求め、ほどなく家の本棚が満杯になりました。
あの頃は、買って満足するというよりも、コレクターに成り果てていたんですよね。
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中国語を学ぶということから、今の仕事である「発音を教える」ということに目を転じてみると、3冊ほどの原書は辞書を引き引きしっかり読み通しました。
でもそのほかにもたくさんの本を買い込み、拾い読みは結構しています。
3冊の本をしっかり読み通していることで、カンのようなものが働き、新しく読む本では、拾い読みでもその本のエッセンスがつかめたりするものです。
自分用に購入して先送りしているものでも、「あのテキストはあんな特徴」「こんな時にはあのテキストを勧めよう」という具合に、特徴が分かるくらいには目を通していますので、「ちょっと目を通す」ことの効用も知っています。
そんなわけで、どちらかといえば幅広く読んで業界地図を作るというか、頭の中で学習書のマッピングをするようなのがわたしの読み方です。
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質問者さんが「買っただけで勉強した気になる」というのは、分かる気がします。
じっさい、そのアクションを取ったことで勉強は一歩進んだのだと思います。
数ある本の中からその本のタイトルに惹かれて手に取り、ページをめくるなり内容説明を読むなりして選んだその過程で、「自分の学習に足りないことは何か」「不足を補うためには何が必要か」という思考を巡らせたことは、確実に第一歩だったはずです。
お金を払ってそれを入手すると決めた時には、「このコストによって未来を引き寄せよう」という強いモチベーションが働いたはずです。
しかし質問者さんは、そこまで自己分析ができていて、やる気もあるのに、じっさいに学習をする時間を持たないことに問題を感じているようですね。
自分はこの本を買うためにこれだけの活動をした、という満足感を味わった一方、中国語学習を前に進めたい気持ちもある。だから参考書を買って不安をまぎらわすのだけれども、手をつけないとよけい不安になると書いておられます。
これはですね、「買っただけで勉強した気になる」の一歩前に、「買ったことで非常に大きな満足を得ている」という段階が挟まっているからなんです。
質問者さんは勉強家であるとともにコレクター気質でもあるので、「よい本を手に入れた!」という満足感を深く楽しむことができるわけなんです。
満足感が味わえるのは嬉しいことですから、それで済むなら精神衛生上も非常に健康なことではないでしょうか。
この際、「自分は参考書を買うと楽しくなるコレクターなのだ」ということは認めてしまい、コレクターとしての自分という人格と、学習者としての自分という人格を分けて考えたら良いのではないでしょうか。
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- 質問者さんの中のコレクター君は本を目利きして買ってくるのが幸せ。学習者君の都合は考えなくてよい。
- 質問者さんの中の学習者君は、コレクター君が用意した図書館の中で好きなように勉強をすればよい。図書館の本をそろえたのはコレクター君の勝手なのだから、ぜんぶを使わなくてもよい。
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ところで、『りんず式中国語発音矯正』を買いに行こうとしているコレクター君を、学習者君が引き止めてこう言っています。
「参考書売り場に行く時間があったら単語を一つでも覚えろ」と。
どうやら学習者君は、体の主に対して言いたいことがあるようですね。
もう体の主も、中国語学習者としてやらねばならないことが何かは分かっているのです。
質問者さんの中のコレクター君も学習者君も、いいセンスをしています。
ご自分の中のコレクター君と学習者君、どちらの願いもかなえてあげてください。
それから、学習者君はどうやら、やりたいことがいっぱいある! 全部やるんだ! と気がはやっているようです。
それでは体の主さんが、顔はこっち、手はあっち、足はそっち、となって一つのことに集中できません。
まず何から手をつけるのか、順序よく並べてみたらどうか、と言い聞かせてみてはどうでしょうか?
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ちなみに今回の私の本『りんず式中国語発音矯正』は、ドリル形式ではないので読み物として通読することができます。
ノートとペンを準備して座学をする、というような意味では「買っても手をつけない」ということにはなりませんので、どうぞ安心してお買い求めください^^
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