2年間の大学院留学では、チャンスを見つけては農村に出かけていこうとしていました。
そのころ語感のギャップについて書いたエッセイです。
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“落后”
日本語で「落後」といえば「落伍」のことで、取り残されること、遅れをとること。「落伍者」といううらさびしいイメージが浮かぶ。中国語にも「落后」という単語があり、遅れること、遅くなること、そして「先進」の反対語として、思想的あるいは技術的に立ち後れていることを表す。機械が旧式になると、その機械は「落后な」機械だといわれる。
昔はどのような生活をしていたのか教えてほしい、と農村をたずねる。地元で知り合いができると、その家族の親戚筋や近所づきあいといった人のつながりを頼りに、また新しいところに出かけていくことができる。
出かけていくと、多少の警戒感と好奇心と、そして圧倒的な好意に迎えられる。遠くから日本のお嬢ちゃんがわざわざやってきた、といって、車を出してくれたり、家に泊まっていけ、ご飯を食べていけ、と、聞きしにまさるもてなしを受けて中心人物になってしまうので、嬉しい反面、なにかとんでもなくお邪魔をしに来たのではないかというような気がして面はゆい。
ひとしきり、中国の食事には慣れたかとか、北京大学ではどんな寮に住んでいるのかとか、日本の物価は中国と比べてどうだとか、そんなような話をして呼吸ができると、ところでお嬢ちゃん、この村に何を見に来たの、という話になる。そこで、ここが大事とばかりに調査の目的をお話しする。なにしろそれほど上手ではない中国語で一句一句話すのだから、子供がしゃべっているように聞こえているはずだ。それでも一生懸命に、あんな事こんな事を知りたいんです、と話してみる。
私にとっては、現在のことはもとより、知り得る事実が昔のことであればあるほど、話者の記憶が時間的にさかのぼればさかのぼるほどわくわくする。
ここ数十年で、昔ながらの、千年単位で続いてきたはずの生活様式が急速に変容している。暮らし方が変わると同時に人々の考え方も変わってゆく。地域ごとの地域的なるもの、さらには中国的なるものが薄まり、全国均一化、全世界均一化に向かいはじめているから、それらが消え失せる前に書き取っておかなければならない。
それに、文献史料に書いてあることと照らし合わせて歴史研究にも役立てたりしたいから、見るもの、聞くものが古ければ古いほど嬉しい、という気持ちを込めて、その熱意を伝えようとする。
ここを強調しないと、地元の人たちが「古い」ことを「遅れている」ことだと恥ずかしがって、なかなか話してくれない、ということがあるからだ。
昔から普通の人々が普通に暮らしていたその生活の様子を教えてほしいんです。お祭りや年中行事のやり方でも、農作業のしかたでも、季節ごとに食べる野菜のことでも、なんでも聞かせてほしいんです。
そういうお話しを聞くと、地域ごとの特徴が分かったり、日本との違いや、昔と今との違いが分かったり、いろいろおもしろいことになるんです、そういうお話しをたくさん聞かせていただいて、中国の民俗文化の研究として論文を書くんです。ここ数十年はどんどん生活の機械化、近代化がすすみ、だいぶ昔とは様子が違っているはずだから、できるだけお年寄りの話を聞いて、昔のようすや昔ながらのやり方を教えていただけたら、とっても嬉しいんですが、と語ってみる。
そうすると、子供が話すような中国語でも、うん、うん、と頷きながら話を聞いてくれて、次第にその熱意が伝わってゆく。そして、中国人が話す自然な中国語に翻訳し直して、このお嬢ちゃんの言っているのはこういうことだよね、それはおもしろい。それじゃあ、どこどこに連れていってあげよう、何々を見せてあげよう、ということになる。
そんなとき、「ああ、このお嬢ちゃんは、ひとことで言うと“落后”なものが見たいんだね」、とまとめられてしまうことがある。
そ、そんな言葉でまとめられてしまっては、「古い」ことは「遅れている」ことではないのだ、昔ながらの生活には人間の長い営みが反映されていて貴重なのだ、と力説した意味がないではないか。
そこでもう一度、整理して話すことになる。
実はこの時、もし日本語で説明するのだったら「伝統」という言葉を使うと非常に説得力がある。こうした身の回りの生活にも昔からの伝統が息づいているんです。だから伝統文化を記録して保存するということはたいへん価値があることなんですよ、と。
ところが、ここ中国ではこの「伝統」という言葉が使えない。清朝という封建王朝を倒し、革命によって人民の国を成立させた中国では、封建的なるものは打倒されなければならない。封建的なるものとは要するに古いもの、科学的でないもので、何かにつけて「封建・迷信を打倒せよ」というスローガンを目にすることがある。
そして伝統文化とはすなわち封建的なるもの、ということになっているのだ。
今はともかくとして、五十年代の「打倒旧四」運動、六十年代から七十年代の文化大革命の時代、「伝統的な」ものはひどく批判され、破壊された。だから今でも「伝統」という言葉は、うっかり使えない。言葉にすでに政治的な色合いがついてしまっているのだ。だから、伝統文化とは何か、というのが本題でない今は、この言葉を使って私の調査目的を説明するわけにいかないので、いやいや「落后」というように遅れていることと思うのではなくて、私は古いことをいい意味でとらえているんですよ、私にとっては昔ながらのことがとても価値があるんです、と訴えてみる。
すると、それにも、うん、うん、と頷き、このお嬢ちゃんはとにかく昔のことが好きで知りたいのね、と私の意図は充分に伝わるようだった。
そして農耕用具などがわりあい多く保存されていて、生活水準も過度に現代化していない村を紹介してくれた。そこは幹線道路から遠いなど主として地理的要因によって市場経済の波及が遅く、生活様式や習わしも昔ながらのやり方が息づいているという。そうした村で調査することができたら願ってもないことなので、大変嬉しい情報だった。ああ、私の言葉と興味、熱意がきちんと伝わったんだな、とほっとする瞬間だ。そうなんです、私はそういうところが見てみたいんです…。
しかし、次の言葉を聞いて私は、気が遠くなるような脱力感を味わうのだった。
「そうだ、お嬢ちゃん、あの村にいくのが一番だよ。きっとお嬢ちゃんには面白いと思うよ。あの村ならここらの町より十年は“落后”してるから」。