日本人発音講師による中国語発音矯正専門教室

 

 

りんず中国語ラボのレッスンは「中上級者のための日本人講師による中国語発音矯正レッスン」です。安定した発音が定着し、身につけた発音が退行しないトレーニング方法をお伝えします。中国語の発音を矯正したい方、キレイな発音に憧れている方はりんず中国語ラボへ。

  1. りんずの講師ってこんな人

中国語で“对不起”が使われる時

構音障害(側音化構音)の克服と中国語

“对不起”は中国語学習の最初期に習う言葉の一つです。
テキストには「ごめんなさい」「すみません」という訳語が書いてあります。

でも、その「ごめんなさい」「すみません」が中国語の“对不起”の訳語として一対一対応しているかというと、それはちょっと違うんじゃないかなと思うんです。

日本人の「ごめんなさい」はちょっと軽い

わたしたち日本語話者は日本社会で育つ中で、「ごめんなさい」「すみません」をきちんと言えるように、としつけられてきました。
お皿を割ったらごめんなさい。失望させたらすみません。ちょっとぶつかったら失礼しました。物をお借りして失敬失敬。
そんな一言は人間関係の潤滑油になるからいいと思うんですよ。

でも、中国語圏では、上記のようなシチュエーションで“对不起”が聞こえてくることはあまりありません。
お皿を割って「あら、たいへん」くらいは言うかもしれませんが、失望させた、ぶつかった、物を借りたというようなちょっとした気持ちのやりとりでは、「事実はこうでした」と伝えることはあっても、それに対する感情を伝えることはなく、うなずきで承認し合うような感じです。

これをみて、中国人は「すみません」と言わない。失礼なことだ! と思うとしたら、ちょっと違うんですね。
振り返ってみて、日本人がそうした「すみません」をいう時に、ほんとうに謝罪の気持ちが入っているかというと、そんなでもないんじゃないでしょうか。「相手にやや迷惑をかけた。それを自分は認識しているから、相手もそれを許してほしい」という意味の、かるいあいさつ言葉になっているのではないでしょうか。

中国語圏では「相手にやや迷惑をかけた。それを自分は認識している」というところまでは同じような気がするんですが、それが許されるかどうかは気にしないというか、もともと許されているというか、そんな程度のことが許されないわけがない、という前提に立っているような気がするんですよ。みんなが。

そういうわけで、日本人が「ごめんなさい」「すみません」をよく口にするのは、一面からみれば謝罪の言葉があまりに軽い。免罪符として「ごめんなさい」「すみません」を使っているだけ、と解釈できなくもないわけです。
それはそれで互いの了解の元で言葉がやりとりされるという文化なので、さきほど言ったように、あいさつ言葉が潤滑油になるのだから、いいんですが。

中国語の“对不起”はちょっと重い

“对不起”という言葉を観察すると、相手に対して正面から向かい合うことなどできない。理由があって相手に顔向けすることができない、という意味から成り立っています。

とても重く解釈すれば、自分が行った失敗のために、申し開きをしても許されないようなことが起こった。相手に会うこともはばかられる、というようなシチュエーションにも使うことができる言葉です。

ちょっと何か失敗したとしても許されるとみんなが思っている社会の中で、何か一線を越え、これは許されない、とがめられて然るべきだという出来事が起こった時にやっと登場する、それが“对不起”です。

まあ、軽い雰囲気で使われることもありますし、特にサービス業の従業員と客の間でもよく使われます。
ドラマをみていても、へらへらしながら使われる“对不起”もあります。
ただ、かなり重い場面で涙を流し号泣しながら“对不起”が使われるというのも事実です。
中国語の“对不起”が、やや重い言葉でもあるということは知っておいてもいいでしょう。

インテリ青年が折れた“对不起”

北京大学の大学院で聴講していた頃、河北省の農村にフィールドワークに行くことがありました。
2週間ほども農村にいて、たまには農家に泊めていただいたりして、勉強になるし楽しいのですが、まあ数週間も暮らすと気疲れ体の疲れが出てきます。
そんな時、北京に戻るための中継地が河北省の石家荘市で、そこでは、エッセイを書いて新聞に掲載されたりする作家の女性の家にお世話になっていました。
あるとき作家女史はわたしを楽しませようと、友人を二人呼んでディナーに誘ってくれました。
一人は教育委員会の女性、一人は新聞社にお勤めの男性。いずれも二十代後半の気鋭の青年です。
4人で食事を進めるうち、この新聞社の男性が日本の戦争責任について話を広げます。
そしてわたし個人の戦争責任についての見解を尋ねます。

ああ、また始まった、と思う瞬間です。
2000年ごろの話です。
田舎に行くと特に、その人にとっては初めて出会う日本人がわたしだ、ということが珍しくありませんでした。

その新聞社の青年は「あなたには戦争責任があるのに、こんなところでぜいたくに食事をしていて良心の呵責は感じないのか」ということを言ってきます。
今だったら、言い返す術も持っているでしょう。
当時でも、気持ちが正常だったらなんとか切り抜けることができたでしょう。
ところが、その晩のわたしはフィールドワーク帰りで体も心も疲れていたのです。

30歳近い大学院生にはあるまじきことかと思いますが、わたしはその青年の舌鋒をかわすことができず、思わず涙をこぼしてしまいました。
いま思い出しても穴があったら入りたい。恥ずかしい記憶です。
「ほら見ろ、否定できないからすぐ泣く」とも言われました。

それでも「わたしは、あなたがわたしにしたような無礼な態度を、あなた以外の中国人から一度も受けたことがない」とだけは言い置いて、作家女史の許しも得て一人で帰宅することにしました。
その場から離れたかった。恥ずかしかった。何も考えずに布団に入って眠りたかった。

なかなか捕まらないタクシーを待っていると、おや、先ほど別れを告げた3人がそばまで来てくれました。
そして、なんと、わたしを泣かせた新聞社の青年がこういうのです。

「小绫小姐,僕が言いすぎた。言葉が不適切だった。对不起」と。

おお! 中国人にとっては重いあの“对不起”をわたしに使ってくれるんですか!?
それを聞いただけで、ドーパミンがでたのかアドレナリンが出たのか知りませんが、それだけで沼の底から引き上げてもらったような、そんな心地がしたものです。
そう言われると、わたしも素直に「没事儿,没问题。わたしも子供じみていました」と口にすることができ、ひとまずは円満に散会することができたのでした。

お医者さんの“对不起”

そんなことも経験しながら、精神的にも強制的に成長させられていく留学生活でしたが、あるとき腹部に腫れ物ができてしまいます。
はじめは虫刺されかと思っていたのですが、どんどん熱をもってふくらんできて、中では膿がたまっているようです。
ジーンズの硬い生地が当たると痛くてたまらず、そのために柔らかい生地のスカートをわざわざ買ったほどです。

それで、当時はまだ外国人を特別扱いしてくれていた中日友好病院に行きました。
麻酔をして、切開をして、中の膿を吸い取るのだといいます。いま調べたら「切開排膿」という処置だそうです。
しょうがないからそれでお願いします。

ところが、腫れはかなり深くまで育っていて、お医者さんが初めに注射した麻酔は最深部まで届いていなかったようなんです。

ようするに切開がとても痛かったんですよ。

それで、「むむむー」っとうなってしまいますよね。
それでお医者さんも麻酔が届いてないことが分かるんですが、もうすぐ終わりなのでしょうがないんです。続行です。

そのときお医者さんが“对不起”っておっしゃったんですよ。
これは「痛いの分かってますよ、でもすいません、もうちょっとガマンしてくださいね」っていう意味だったんじゃないですかね。

ちょっと日本語の「ご免なすって」に似たニュアンスだった気がします。
診療台の上で、痛いなー、と思いながら、ああ、中国人の“对不起”でも「ごめん」の意味で使われることがあるんだなー、なんていう学びが頭のすみをかすめていったのでした。

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