「そもそも原文というものにしても、言語化される以前の「世界」なり「想い」なりを言語に「翻訳」したものにほかならないのであって、いかなる文章も完全な「原文」ではありえないのでないか、という、本格的な翻訳論ではかならずお目にかかる議論の方向に、話を持っていくことも可能でしょう。」
「翻訳の「現場」で作業をする者にとっては、翻訳で100パーセントを伝えるのが不可能であることよりも、ひょっとすると99パーセントなら可能かもしれないことのほうがはるかに大事であり、翻訳において原文の90パーセントなり80パーセントなりが伝わってしまう(……中略……)ことのほうがずっと大きな驚きなのです。」
「たとえば西洋史を見れば、80パーセントなり90パーセントなりのそこそこ(……中略……)の翻訳が文化を動かしてきたと言って過言ではありません。中世のヨーロッパは、ギリシャの数学や医学や天文学を、そのアラビア語訳のそのまたラテン語訳を通して学びました。ルネッサンスとは人間復興の時代だったと言われますが、それは要するに、一大翻訳ブームのことでもあったのです。」
――柴田元幸「翻訳――作品の声を聞く」(『知の技法』東京大学出版会、1994年4月)より。