vわたしが自分で進めた自分の中国語の発音矯正にはいくつかの段階がありました。[母音を直した段階][リズムを直した段階][発声やベースラインを直した段階]など。
いちばん変化の大きい修正は、わたしの場合はリズムの修正でした。
「歌を歌っているみたいだ」と言われる
忘れもしない北京西駅からタクシーに乗って行き先を告げたときのこと。
運転手さんに「あんた日本人かい」と聞かれ、「日本の女の子の中国語は歌を歌っているみたいだね」と言われたんですよ。
その時はもう29歳だったから女のコ扱いが嫌だったし、旅から帰ってきて疲れてるのに、初対面のお客にそんなこと言わなくてもいいじゃんと感じてかなりハラワタが煮えくり返りましたね。
でも、今思い返せば、その頃のわたしの話し方ではそう言われても不思議はなかったな、というかむしろ、言い得て妙だな、と思うのです。
音節がきれいなだけの発音
そのころのわたしは1音節ごとの子音や母音や、もちろん声調も「きれいに」発音することに血道を上げていました。
新しい友人を紹介され、どこかで見たお顔だなと思って
我们好像在哪儿见过面!
と言ったとき。
その時の口調は今でも思い出すことができます。
すべての音節が長く、声調がしっかり付き、教科書を音読しているのと何も変わらない話し方でした。
声も高かったし、歌を歌っているようといえばそのとおりです。
今なら 见过面 を中心としてしっかり発音し、他の部分はサラッと流します。
そうしたほうが、聞き手に語りかける感じが出るからです。
が、そのときは「教科書にあったセリフが使えるぞ」「教科書通りの文をきれいに発音できたぞ」ってドヤ顔でさえあったかもしれません。
TPOに合わない発音
日本人留学生のグループで外食しに行くと「お会計お願いします!」を誰が言うかなーという雰囲気になります。
留学が始まってほぼ初めてのそんな時、なんとなくわたしが言う空気になり、わたしは大きな声で言いました。
小姐,结一下账吧!
それを聞いた同席の男子が、「あっ」という顔をしてわたしを見て、どうしようかという顔をしています。
ウエイトレスさんは、日本人が萎縮するあの「ぁあ?」で聞き返してきます。
するとさっきの同席男子がわたしのかわりに
结账!
とひとこと。
ウエイトレスさんはこんどは「嗯」と答えてスムーズに会計を始めてくれます。
わたしの発言は丁寧すぎて「お会計をお願いしてもよろしくって」という文だったんですよね。
その上に、例によってどの音節も長くて、緩急も抑揚もありませんでした。
なので、音節の発音がきれいなのにもかかわらず、突然聞いた人には聞き取りにくい話し方だったのです。
学生街の学生向け食堂で「よろしいかしら」もなにもないですよね。
TPOも大事です。
恥をかいて伸びる
そういうちょっと赤面するようなあれやこれやをくぐり抜けて、やがてわたしの耳にもネイティブ話者の話し方の特徴が聞こえてくるようになりました。
そうして、自己流発音矯正も駒を進めたわけなのです。
頭で分かってはいたことが、北京西駅の運転手さんに「歌を歌っているみたいだ」と言われて奮起して、それで本気で変え始めたという順番だったかもしれません。
まあそんなわけで、発音の進化にもいろいろな段階があるわけですね。
体を張った実験がもとで今のレッスンができていると思えば、いろんな恥も書いてきてよかったなと思えます。
今になってやっとですけどね。