2006年4月『翻訳通信』第47号 【名訳】池央耿訳『小説作法』(須藤朱美)より
「 わたしは翻訳を純粋な創作活動ではないと考えています。それは翻訳者が文筆業のなかでもきわめて編集的観念でものを見ざるを得ない職業だと思っているからです。内容は既に目の前に用意されています。課された役割は内容を創造することではありません。原文で内容を理解し、誰に読んでもらうか、どう読んでもらうかを原著者の立場で考えつつ、日本人の視点で文章を組み立てる技が翻訳者に求められているからです。」
「 ひと通り見まわしてみたところ、優れた職業翻訳家は複数の文体を意図的に使い分けているように感じます。たとえば同じ原著者の同じテイストの作品だけを永遠に訳しつづけるのであれば、もしかしたら文体はひとつきりで困らないのかもしれませんが、翻訳を生業とするからには、そういった状況はあまりに非現実的です。たとえ作家や専門分野を狭め、作品を選んで仕事をする状況にあったとしても、日本での読者対象や内容の情報価値を考えた場合、翻訳はいつも同じ文体で訳してさえいればよいというものではない気がするのです。」