勤務先の仕事で翻訳をやっている。
それが業務のすべてではないが、一日平均A4版一枚程度をコンスタントににこなし、一応チェックしてくれる上司もいて、社内での仕事だからお菓子を食べもせずネットで遊びもせず集中して取り組んで一年、この業務を始める以前とはだいぶ違う、翻訳に適化した脳、翻訳に適化した体力といったようなものが生まれたんじゃないかと思っている。
翻訳をするためにデスクに向かうと自分の頭の中でスイッチが入り、脳内の神経伝達回路が翻訳専用の回路に切り換わるかのような感触がするようになった。
外国語を読むには、多かれ少なかれストレスがかかる。原文が読者に対して持っている意図を読み取り、訳文の読者が同じような反応をできるように引き写さなければならない。
ところが、一字一句、片言半句に苦吟しているとさっぱりはかどらない。はかどらないばかりか、時には著者の息遣いを見失ってしまうことがある。
もちろん一文一文の構文を正しく把握して訳出の過程がたどれるようにしておくのは重要だが、もっと重要なのは、その文または段落、もしくはページや章節全体での、著者の筆勢である。
原文にどんなスピード感(あるいは「スロー感」)が漂っているか、著者の意思や意図がどのように行間に隠れているか、話の流れはどこの息継ぎで区切られているか、そういったことを見抜いて訳文に反映させるためには長文を広く見渡せる力が必要になる。
そうして読み取った著者の息遣いと、おんなじ息遣いの訳文を作り出すことができれば理想だ。
ここで話が戻るのだが、一語一語を一つずつ頭から訳していては、この息遣いのコピーを忘れがちだ。ある程度の量の、少なくとも、著者が一息で書いた量の原文に対応する訳文をいっぺんに書き上げる勢いが欲しい。
〈続〉