たまにその日の情景がよみがえり、そのたび赤面してしまう思い出があります。
小学校に上がるか上がらないかの体の小さな時のこと。
わたしは親がありがたがるほど手のかからない子供で、バスに乗ろうが病院に行こうが、騒いだりむずかったりして親を困らせるということがなかったそうです。
それがある日の午後、めったにお客様のない我が家に女の人がお茶にいらっしゃいました。
そのとき、わたしはどういうわけか随分と興奮してしまったのです。
今でも思い出せますが、なんだか楽しくて楽しくて、居間にある置物をその女の人に持っていってあげたり、出窓の出っぱりに登って腹ばいになり、足先をおしりの上でぶらぶらして見せたりしたものです。
歌の一つも歌ったかもしれません。
お客様は「元気なお嬢様ですね」とおっしゃいました。
わたしはいよいよ嬉しくて、お客様が注目してくださるのが誇らしくてなりません。
胸の真ん中に「たのしい」と書いた風船がふくらんではちきれそうです。
やがてお客様は帰って行かれました。
するとどうしたことでしょう。わたしは母にたしなめられてしまったのです。
「お客様が、元気ね、って言ったでしょう? あれは、お前が随分はしゃいでお行儀悪くしてるっていうことを違う言い方でおっしゃったのよ」と。
わたしはそれで「はっ」として、しまった! と思ったのを覚えています。
定かではありませんが、胸にふくらんでいた風船も急速にしぼんだに違いありません。
長じて中国語を学び“人来疯”という言葉を知ったとき、私は自分の経験に照らしてその意味が深ーく理解できたと同時に、わたしと同じような、お客様の来訪に異常なはしゃぎようを見せた子供たちが中国にもいたのだと知り得たのです。
そしてそういう子供の状態を言い表すために存在しているその言葉が、幼時の自分をよしよしと慰めてくれたようで、何とはなしに安堵のため息をもらしたのでした。
(2007年4月11日記)
“人来疯”rén lái fēng
来客があって、子供がいつになくはしゃいだり羽目を外したりすること